入園料:
大人(中学生以上)500円
こども(小学生)200円
65歳以上の市内在住者
無料
65歳以上の市外在住者
300円(団体割引無し)
駐車料金:乗用車500円 バス1000円
開園時間:9時〜17時
(入場は16時まで)
休園日:12月29・30・31日
財産法人三溪園保勝会
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当時沖からこのあたりの陸地を望むと海に向かって開く3つの並んだ谷、”一之谷”・”二之谷”・”三之谷”が確認できた。
三溪園は現在でも地名として残る、三之谷に造られたことによる名称である。 |

南門への道
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海岸:今は埋め立てをしてしまって海岸はありません。
幕末、横浜に来航したペリー一行は、この付近のみかんの色の崖を”マンダリンブラフと親しみを込めて呼んだ。そして開港以降、横浜は多くの外国船が行き交う国際敵な港として発展したが、そのすぐそばにありながらも三溪園界隈の海岸では昔ながらの漁や海苔の養殖などが依然行われ、日常の人々の生活風景がそこにあった。
昭和30年代までは帆掛舟の姿も見られた詩情豊かな海であった。
■内苑 |

海岸門 |

蓮華院
三溪作の田舎風の茶屋。
大正6(1917)年建築 |

天授院
鎌倉建長寺付近の心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂。慶安4(1651)年建築 |

聴秋閣
京都二条城のあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。
元和9(1623)年建築 |

旧天端寺寿塔覆堂
豊臣秀吉が京都・大徳寺内に母の長寿を祝って建てた授塔の覆堂。
天正19(1591)年建築。 |

月華殿
徳川家康時代の京都伏見城内にあったが大名伺候の際の控え所の建物。
慶長8(1603)年建築 |

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紀州徳川時家初代 頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築。
屋内には襖絵や数奇屋風の意匠が残る。
慶安2(1649)年建築。
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臨春閣内 |
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御門
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大正初期頃の御門
内苑は戦後に初めて一般公開されたエリアでそれまでは原家の私庭として一般には立ち入れなかった。よって当時三溪園のみやげ物として売り出された絵葉書にも内苑の写真はほとんど見られない。
御門は当時“桃山御殿門”あるいは“桃山御門”と呼ばれ、これはおくの臨春閣が豊臣秀吉築造の桃山建築・聚楽第(じゅらくだい)の遺構とされていたことによる呼称であった。
戦後、臨春閣は江戸初期に建てられた紀州徳川家の別荘“巌出御殿(いわでごでん)”と判明したため、“桃山御門”は“御門”となった。
写真には現在ある脇のくぐり戸が見られず、また左に受付所のような建物が付設されている。
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蓮池
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大正初期頃の園内
現在と比較すると物足りないほどすっきりした園内の景観である。主園路沿いに松の木が植えられたのは近年の事で、今では雑木となっている三重塔の山は往時黒松ばかりであった。 |

鶴翔閣
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 原家の住居・鶴翔閣の全景
鶴翔閣は、三溪が明治35(1902)年に住まいとして築造したもので三溪園の造園はまさにここを足がかりに進められた。
現在のある建物は改変著しかった状態を平成12(2000)年創建の姿に復したものである。当時は生け垣もなく内部の生活の様子が来園者の目にさらされている状態であった。
数多くの貴重な古美術を所蔵し芸術家たちの支援者でもあった三溪のもとには常に文化人が国内外から出入りし、個人の住宅とはいえ、鶴翔閣も開かれた場であったといえる。
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